ドレスナー銀行は、
1872年11月12日に
ドレスデンで
株式会社(AG)として設立された。前身は
1771年にユダヤ人商人のヤコブ・カスケル(Jakob Kaskele)が設立した金融業者バンクハウス・カスケル(Bankhaus Kaskel)であったが、息子のミヒャエルが
ザクセン王国との取引を開始し、その息子でプロテスタントに改宗したカールとユリウスが鉄道や醸造業などの産業に投資して大きくなり、株式会社化してドレスナー銀行となった。設立に際しては、カスケル家の人々のほかに、Allgemeine Deutsche Creditanstalt(
ライプチヒ)、Berliner Handels-Gesellschaft(
ベルリン)、Deutsche Vereinsbank(フランクフルト)、Deutsche Effecten- und Wechselbank(フランクフルト)、Anglo-Deutche Bank(
ハンブルク)が投資し、資本金800万
ターラー(2400万マルク)と従業員30人で出発した。1870年代にいくつかの銀行や金融会社を吸収したドレスナー銀行は、ベルリン支店が急拡大しドレスデン本店より大きくなったため、
1884年に本店をベルリンに移した(
1950年までは裁判管轄地をドレスデンに残した)。ドレスナーはさらに多くの銀行を、特に設立時にドレスナーに投資したAnglo-Deutche Bankも買収し、
1895年には最初の国外支店であるロンドン支店も開きドイツ最大級の支店ネットワークを持つ銀行となった。
世界恐慌のあおりでアメリカからの投資が一斉に引き上げられたドイツの産業は打撃を受けた。
1931年7月にはドイツ第2位の大銀行ダナート銀行(Danat-Bank, )が支払い停止に陥り、ドイツ金融界全体の信用が地に墜ちる金融危機が発生し、結果無数の企業が倒産した。ドレスナーはドイツ国政府の命令でダナートを吸収したが、その後ドレスナーも危機に陥り、株の66%をドイツ国が、22%をドイツ金割引銀行(Deutsche Golddiskontbank)が保有することで救済された。
ナチスと結びついたドレスナー銀行はその後急拡大し、
1935年には後の「ユダヤ資産のアーリア化」()のさきがけとしてドレスデンのユダヤ系金融機関を吸収し、またナチスの行う諸事業に融資を行うなど、ナチス・ドイツの政策の多くに関与した。ドレスナー銀行は
1937年に再度私有化され、
第二次世界大戦の開始直後には占領地や領土の東方への拡大で利益を得たものの、戦争によって支店建物の80%が失われる被害を受けた。戦後、ソ連占領地区の支店はすべて閉鎖され、米英仏占領地区の支店網も複数の小銀行へと解体された。
ハイパーインフレーションで金融は混乱したが、
ドイツマルク導入による通貨改革で業務は通常に戻った。