但、
17世紀初期に幕府が大坂や江戸の橋や河川、主要道路を整備して都市機能を持たせる政策を打ち出した時点ではまだトップダウンだけでは無理があり、多くの
牢人に労務管理としての口入業を行わせている。彼らが独自に生み出した珍奇な衣装、言動といったものが都市文化の風俗として捉えられたのが侠客である。これと同時に武士階級であっても存在価値を問われている遊民たちも独自の「風俗」を生じている。すなわち無為無禄の状態に置かれた旗本の次男以下からなる
旗本奴。旗本奴に反発する庶民による
町奴と謂われる者が侠客であり、
19世紀の
浮浪(博徒も含まれる)とは大きく意味合いは異なる。
これについては
宮崎学が
愚連隊の元祖と呼ばれた
万年東一を評した説明が、最も理解しやすい。すなわち、闘争の場も「遊び」とする者たちである
ホモ・ルーデンスがその精神を発露する現象である。社会的制度や圧力を前にして、友愛や恋情ではなく自己の勇気により自己保存の本能を乗り越える形である。但、この発現の過程については、ただ現象として「ある」としか説明はないため理解しづらい面が多い。万年自身は、後に作家となった
安部譲二に「平気で損ができるのが任侠で、損ができないのは任侠ではない」と喝破している。