弥生時代は、
水稲耕作による
稲作の技術をもつ集団が列島外から北部九州に移住することによって始まった(しかし、1994年、縄文末期に属する
岡山県総社市の
南溝手遺跡(みなみみぞていせき)の土器片中から
プラント・オパール(イネ科植物の葉などの細胞成分)が発見され、さらに同県
真庭市美甘(みかも)姫笹原の4500年前の土器にもプラントオパールが発表され、2005年には岡山県
灘崎町の縄文時代前期(約6000年前)の地層から大量のプラントオパールが見つかり、少なくとも約3500年前からすでに
陸稲(熱帯
ジャポニカ)による稲作が行われていたとする学説が数多く発表され
[2005年7月20日読売新聞、西谷正(九州大名誉教授;考古学)の論など][「2005年02月19日読売新聞」稲のプラント・オパールが見つかったことは縄文前期の稲の栽培の証拠となるもの(高橋護・元ノートルダム清心女子大考古学教授)][[外部リンク] 新聞「農民」2002.3.11][2005年7月17日朝日新聞プラントオパールの発見により少なくとも縄文中期には稲作があったことが確実となった(考古学者;山崎純男)]、また水稲である温帯ジャポニカについても縄文晩期には導入されていたともいわれ、現在では弥生時代のはじまりと定義される稲作開始時期自体が確定できない状態である)。
また、
稲の伝来ルートについても従来は
遼東半島から
朝鮮半島を南下して九州北部に伝来したという説があったが、
遼東半島や朝鮮北部での水耕田跡が近代まで見つからないこと、朝鮮半島での確認された炭化米が紀元前2000年が最古であり畑作米の確認しか取れない点、極東アジアにおける温帯ジャポニカ種(水稲)/熱帯ジャポニカ種(陸稲)の遺伝分析において、朝鮮半島を含む中国東北部から当該遺伝子の存在が確認されないこと
[静岡大学農学部佐藤洋一郎助教授やアメリカの多くのバイオ系研究機関の分析結果等。]などの複数の証左から否定されつつあり、水稲は大陸からの直接伝来ルート(対馬暖流ルート・東南アジアから南方伝来ルート等)による伝来である学説が出始めている(従来の説とは逆に水稲は日本から朝鮮半島へ伝わった可能性も考えられている)
[大塚初重 『考古学から見た日本人』(青春新書INTELLIGENCE)>]。また池橋宏は長江下流域から、山東半島、朝鮮南部を経由して北九州へ伝来という説を唱えている
[池橋宏『稲作の起源』講談社 2005年]。