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「武家屋敷」||経済master.com [05/26update]

武家屋敷 wikipedia|無料辞書

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『洛中洛外圖』に描かれた花の御所
武家屋敷(ぶけやしき)は、武家が所有した邸宅である。江戸時代江戸京都に多く立てられた。
大名が所有するものは大名屋敷あるいは藩邸と呼ばれることもある。現在は下級武士の住まいである侍屋敷も武家屋敷と呼ぶことが多くなっている。

◆ 概要
江戸の武家町。幕末に愛宕山から撮影。
武家屋敷は原形は公家の住まい(公家屋敷)である寝殿造にあるといわれ、武家が台頭する鎌倉時代から始まったといわれる。武家造とも言われ、寝殿造を簡略化し武家の生活様式に合わせ御家人の集う施設や防衛のための施設を持つのが特徴となっている。なお、現代では侍屋敷の様式を武家造と呼ぶこともあるが、本来の武家造とは言葉の意味が異なっている。
室町時代になると武家屋敷の様式は寝殿造から独立し会所対面所といった建築に象徴される独自の様式を持つようになり、主殿造書院造へと進化していった。安土桃山時代になると書院造は上段・下段の空間構成や障壁画を始めとする絢爛な装飾を備え権力者の権勢を示す荘厳で格式の高いものとなった。なお、床の間といった書院造の要素の一部は江戸時代になると武士や上層農民などの住宅にも取り入れられ、明治以降は民家にも普及するようになった。
近代になると武家公家と共に華族へと移行し、また建築の近代化により武家屋敷・公家屋敷といった峻別は意味を成さなくなった。こうして武家屋敷は姿を消していくが、代わりに武家官位を持たない武士の屋敷(侍屋敷)が武家屋敷と呼ばれるようになり、侍屋敷が多く残る地区(侍町)も武家町や武家屋敷通りなどと呼ばれるようになった。

◆ 御所
御所は、将軍が幕府や京都に構えた屋敷である。天皇家の住居も御所と呼ばれるが、天皇は武家ではないので、この屋敷を武家屋敷と呼ぶことはない。また、徳川将軍家においては江戸城二条城といった城に住んだため、通常、御所とは呼ばれなかった。将軍の武家屋敷としては藤原秀衡伽羅御所源頼朝大倉御所足利将軍家室町御所花の御所などがある。

◆ 大名屋敷
大名屋敷の門東京大学加賀藩上屋敷御守殿門
柏原陣屋長屋門
大名屋敷(だいみょうやしき)は、その大名が仕える主人の屋敷や城の、付近や内側に構えた屋敷、大名が職務・居住のみを問わず構えた屋敷である。人質を住まわせるための施設や天下普請のための宿舎と工事事務所を意味していることもあった東京都市史研究所編 『比較考証 江戸東京古地図散歩』 新人物往来社 1999年。文禄・慶長の役の際に名護屋城に造られた大名陣屋等もそれに含まれる。

◇ 江戸時代
江戸時代においては、大名が幕府より土地を与えられて江戸城近辺や郊外に構えたもの、また各大名の事情により大坂京都にも構えられた。江戸の大名屋敷は、その大名が参勤交代で江戸に滞在する間に居住し、また、上屋敷は現在の大使館のような役割を持ち、大名(藩)の幕府への政治的、経済的な窓口としても機能した。下屋敷は広大なものが多く大規模な庭園(大名庭園)が造営されるなどした。江戸の面積の約50パーセントが武家屋敷で占められていたという。

  藩邸
大名屋敷は、前述の通り江戸では幕府から土地を与えられていた。江戸における藩邸は江戸城近辺に設置し大名とその家族が居住する「上屋敷(かみやしき)」と、郊外に設置され、より私的な空間である「下屋敷(しもやしき)」に使い分けていた。大名の中にはそれらの中間に「中屋敷(なかやしき)」を設けたものもあった。なお、こうした屋敷の区分は京都や大坂など他の都市でも同様であった。(詳細は江戸藩邸を参照のこと)
下屋敷の一つであった「蔵屋敷(くらやしき)」の敷地内には、複数のと屋敷があった。海岸や河口に造られ、国元で生産された品を荷揚げし、払い下げるか売り下げて、市場に送り出すための施設として使われた。主に経済的活動のための施設である。江戸や大坂に多く建てられた。(詳細は蔵屋敷を参照のこと)
には大名の禄高(石高)によって敷地面積の標準が定められていたが、上屋敷のもののみであり、実際はそれに準じなかった。

  陣屋
無城大名あるいは陣屋大名と呼ばれる3万石以下の城を持たない大名は城の代わりに陣屋を構えた(大名陣屋)。 堀や櫓を持つなど旗本の陣屋に比べ大規模なものもあった。(詳細は陣屋を参照のこと)

◆ 旗本屋敷
旗本屋敷(はたもとやしき)は、旗本がその知行に置いた陣屋や屋敷、または主君の知行に置いた屋敷である。江戸には特に多くの旗本屋敷が建ち並び旗本屋敷街と呼べる区域が形成されていた。自らの知行に置かれた屋敷は旗本陣屋と呼ばれる。

◆ 侍屋敷
侍屋敷(さむらいやしき)は、武家に属さない中級・下級武士の住まう邸宅のことである。現代では本来の武家屋敷が殆ど消滅していることもあり、むしろ侍屋敷の方が武家屋敷と呼ばれることが多くなっている。ここでは現代における武家屋敷として侍屋敷を扱うが歴史的には武家屋敷と侍屋敷は異なるものであったことに注意が必要である。
中世までは武士はそれぞれの領地に住んでいたが、近世になり兵農分離が行われると、城下町に侍屋敷が集められ、侍町が形成されるようになった。侍町の多くは城郭の防御を意識して三の丸や外郭内などに計画的に配置された。陣屋においては敷地内に小規模な侍屋敷を構えて住まわせることもあった。重臣クラスの侍屋敷では土塀長屋門式台を構え、下級のものでも書院造の座敷を設けるなど、格式を示す意匠が施されていた。
また、江戸時代には、上級の社家医者忍者なども武士に準じる身分・格式とされ、屋敷の様式も、概ね武士の屋敷に準じるものである。なお、士分を持たない足軽などの下層の武士の住まいは侍屋敷とは呼ばれず、足軽屋敷、長屋であれば足軽長屋などと呼ばれるが、現代においてはこれも武家屋敷と呼ぶことがある。

◆ 侍町